もし人類がみな自閉症だったら(後編)

健常=定型発達“障害“として捉えた皮肉がベースの話

自閉症の人の基本スタンスは、自分は自分、他人は他人。他者と自分を、上か下か、優か劣か、強か弱か、富か貧か比べない。いい意味でも悪い意味でも自分中心なのだ。
前回投稿した前編では、その特徴を幾つか挙げて、彼らの重要視する考え方をベースにした世界を書いた。

この架空の話にはモデルがあり、アメリカのAutism Network Internationalという自閉症団体が『健常者の持つ“異常な“側面』をシニカルに表した話をベースにしている。

自閉症の特性を持たない状態を“定型発達“という架空の障害と定義して、定型発達がどのような障害であるかを表したもので、“フツー“に対する一種の皮肉だ。ちなみに、定型発達は医学的には存在しない造語だ。

定型発達

発達障害でない人々(あるいはそのような状態)を意味する用語である。英語圏の自閉コミュニティにおいて自閉スペクトラム上にない人々のラベルとして広く用いられている造語

ASDなどのことを非定型発達と呼称されることのアンチテーゼ

Wikipediaより引用

前編で書いた世界は、ある種のユートピアのように思える。嘘がなく、見栄や虚飾がない。争いの少ない世界。

それは、裏を返すと、

圧倒的マジョリティーの“フツー(=定型発達)“の人の世界はヘンだよ、変な行動や考え方を当たり前のようにしているよ、

ということを暗喩している。

  • 何故、肩書きや役職で人を判断するのか
  • 何故、目に見えないものに価値を感じるのか
  • 何故、周りに振り回されるのか。自分をしっかり持っていないのか
  • 何故、悪い嘘をつくのか
  • 何故、他人を妬んだり羨んだり嫉妬するのか。そもそも、何故自分と人を比べるのか
  • 何故、他人にそれほど関心を持つのか
  • 何故、他人と争うのか

自閉症の立場に立つと、“フツー“の人は、理解し難い思考傾向があるように思えてくる。もし、フツー(健常)とヘン(自閉症)の割合が逆だったら、“定型発達者“は常識からかけ離れた、とてもヘンな人に分類されるだろう。

人間には多くの種族(人種という意味ではない)がいて、その中で一番栄えている種族が“定型発達種“であり、社会は“定型発達種“に適合するかたちに構成されている。

こう考えると、自閉症などの異種族が生きにくさを感じることを理解しやすくなる。

現代社会は急速に機能化と定型化が進み、効率が重視される世界になっている。人類史において、今ほど規定値から外れた者に生きづらい社会はないだろう。どんなに立派に実っても、形が悪かったり大き過ぎる野菜は、出荷されずに弾かれて廃棄されてしまう。平均から外れてしまうと居場所がなくなってしまうのだ。たとえ、上回る形で平均から外れていても、だ。

生き方や考え方の違う人でも、不自由なく生活できる世界になって欲しいと願っている。私が生きている間には実現しないかもしれない。長男が排除されない世界をこの目で見たい。