自閉症児と見つける幸せ

不幸じゃない 大変なだけだ

新学期、長男はとても頑張っている。毎年春は調子を崩してしまうのだが、今年は元気に登校できている。最高学年の6年生らしく、クラスの行事や下級生の手助けを積極的にこなしている。疲れていても、毎日宿題をする。委員会活動もする。苦手な普通級での授業も嫌がらない。一昔前では想像できなかった姿だ。

長男は人一倍手のかかる子だった(今でも手のかかる子だ)。自閉症の子の中でも手のかかる子で、支援級で一番の問題児だった。療育期も先生に一番面倒をかけた子だったと思う。大変だった過去があるので、今の安定•成長の喜びはこの上なく大きい。日々多幸感を感じている。

長男の成長はゆっくりだ。できないことがたくさんある。側から見たら、ウチは障がいを持つ子どもを育てる可哀想な家庭に見えるかも知れない。ただ、当事者としては、そんなに“可哀想“である認識はない。可哀想ではなく“大変なことが多い“だけだ。できないことが多い分、できるようになった時の喜びは健常児を育てる場合よりも大きいと思う。

長男がいることで、幸せの価値観が変わったと思う。子どもの成績の良さや運動神経で一喜一憂しない。そもそも他の子と自分の子を比べない。旅行や遠出はできないが、楽しいことは身近に転がっている。昔は絶対無理だった旅行だって、コロナ後には行くことができそうだ。ウチだって十分幸せだと思える。この先どうなるか分からない。来年中学校へ進学したら、沢山の困り事が現れ、毎日苦労することになるだろう。そして、長男が義務教育を終えた時、成人した時、働き始めた時、どう感じているかは分からない。今まで体験しなかったような苦しみを味わう未来が待っているかもしれない。でも、日々の出来事に感謝しながら慎ましく誠実に生活しようと思う。

自閉症児を育てる幸せだってある。幸せのかたちは沢山ある。ウチは十分幸せだ。