子は鎹 自閉症児ならなおのこと
自閉症の長男の存在が、夫婦の仲を良くしてくれる。彼は時として、幸せを与えてくれる。
「子別れ」という落語がある。疎遠な元夫婦が子どもによって復縁するという噺だ。ウチは同居していて仲も良いのでこの噺と設定は違うが、子別れの別題である「子は鎹(かすがい)」を感じることが多々ある。
長男が自閉症なので、ウチの家族は行動に制約がある。
旅行には行けない、外泊できない、外食で夕飯を済ますことができない、テレビをオンタイムで視聴できない。フツーなら有り難みを感じることなくできることが、ウチにはできない。
ただ、長男を育てるという至上命題があるので、家族が一つにまとまる。
特に、妻と私はこの一点において同じ方向を見ることができる。
これといった苦難を経験したことがない妻を、私が茨の道に立たせてしまった。私と結婚していなければ、こんなに苦労することはなかっただろう。
苦労をかけてしまい申し訳ない、と毎日思っている。妻が好きだった旅行には、ほぼ行けなくなった。ファッションを楽しむ余裕もなくなった。お友達とお茶をする機会もかなり少なくなった。
私の方も、以前は遊びにかなりのお金を遣っていた。スノーボードや車にかなり入れ込んでいた。しょっちゅう飲み歩いていた。
長男を支えるにあたり、それらを全てやめた。そんな余裕がないからだ。
少しでも早く家に帰り、家を空ける時間を少なくし、無駄なお金を遣わずに、子育てに奮闘する妻のサポートをしたい。頼まれたわけではないが、自ら率先して子育てや家事をする。妻が大変なことを知っているからだ。
外で遊び回る気や浮気をする気は更々ない。そんな余裕はないからだ。
頑張っている彼女の姿を見ていると、自然と尊敬の念を覚える。自分から彼女を支えようという気持ちになる。妻も私のことを頼りにしてくれている。
長男の存在が私たち夫婦を固く繋いでくれている。子は鎹とはよく言ったものだ。
ウチには数え切れないほど大変なことがある。でも、それが幸せを生み出すきっかけになることがある。
ウチは不幸ではなく大変なだけだ。
ただ大変なだけではなく、幸せなこともある。
幸せのカタチは人それぞれだ。ウチはこのカタチでいい。
これからも妻のことを支え続ける。死ぬまで支え続ける。