シンエヴァンゲリオン
先日アマゾンプライムで、シンエヴァンゲリオンを観た。上映期間が仕事の負荷の高い時期と重なり、コロナの懸念もあったので、映画館で観ることが出来なかった。
エヴァに関しては、「食らってしまう」のではないかという不安もあった。学生の頃の旧劇場版を思い返して、多少ためらっていた。
観終わった感想は、「観てよかった」だった。「完結してよかった」とも思った。
「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」というキャッチコピーそのものの内容だった。
さて、シンエヴァンを観て一つ大きく感じたことがある。
感情移入する対象が、シンジなど少年少女ではなかった。完全に親目線で観ていたことだ。
高校生の頃に出会って以来、私はシンジやアスカといった少年少女、社会人になってからは組織の一員として奮闘するミサトや加持に感情移入していたと思う。
今作は、シンジの母親である碇ユイ、もしくは妻に会いたいと強く願う碇ゲンドウの目線で観ていた。
子どもを想う親の愛情、妻への愛情という視点で、エヴァを観ていた。
妻とユイを重ね、子どもの為に奮闘する妻の姿から劇中のシンジを長男と重ねてしまった。
テレビシリーズの頃はもちろん、前作Qでもこの目線で観ていなかった。
今までは全く共感できなかった碇ゲンドウに、「奥さんに会いたいよね。分かるよ」とシリーズを通して初めて共感した。
視聴者の立場によってアニメの見方が変わることに驚いた。
これから様々な作品を親目線・夫目線で見てしまうのだろうか。
自分が思っている以上に、私は「親」になっているようだ。