最初の違和感
長男は手のかからない赤ん坊でした。人見知りせず誰に対してもニコニコ笑い、ギャン泣きして困らされた記憶はありません。最初の子なので比べる対象がほとんどありません。よその家庭からは「手がかからない赤ちゃんで羨ましい」とよく言われました。ただ、ヘンだなと思ったことがニつありました。一つは、付けっ放しにしていたテレビをじっと見つめていたこと。言葉も映像も分からないはずなのにじっと見つめ、時々ニコニコと笑っていました。もう一つは、喃語がものすごい言葉数、速いペースで喋りまくっていたこと。二歳をすぎた頃ですが、なかなか発語がなく心配していました。ママなりパパなり喋ってほしいので、頑張って話しかけていましたが、長男はニコニコ笑うだけで返してくれません。その代わり、彼は何かを我々に伝えようと、喃語のマシンガントークを浴びせてきました。身振り手振りを加えて、喃語で何かを伝えようとしています。その様は、レフリーに自分の正統性をアピールする、外国人のサッカー選手のようでした。意味は分かりませんが、“流暢な“喃語でプレゼンかディベートをしているようでした。
今になって思えば、ASDを疑うヒントは日常生活に散らばっていました。当時は知識がないので、漠然とした不安を日々感じていました。妻は特に、周りの赤ちゃんと比べて我が子の変わった点や他のママがやっていて自分がやっていないことなど、少しでも不安を軽減する情報を探していました。
手のかからない赤ん坊だった長男が、少しずつ。不安にさせるという形で我々に手をかけさせるようになりました。今になって思えば、それは我々の無知によるものでした。当時の自分たちにアドバイスをすることができたら、どれだけ楽にさせてあげられただろうと思います。