空気を読む 後編

自閉症の長男は、空気を読むことを覚えつつあるようだ。成長の賜物なのだろうか。

空気を読むことができないと思っていた長男に、変化が見られるようになった。彼も空気を読む術を身に付けつつあるのではないか。そう感じる。
下記のようなことをするようになった。

1 支援級の下級生がガヤガヤしている時は、すっと離れて遠巻きに見ている

小学校に慣れない新一年生は、毎日ガチャガチャとしているらしく、先生方は手を焼いているらしい。注意しなければならない場面も多く、“戦場“のようだと聞く(先生談)。長男は、その喧騒から距離を取り、巻き込まれないようにしているらしい。
一緒に怒られないようにしよう、先生が怒っている場面を見ないようにしよう、下級生の遊び相手役を任されないようにしよう。
周囲の状況を見て行動できているのではないか?

2 全校行事や普通級の行事では、常に大人しい。目立たないようにしている。

以前は、自分のしたい行動を支援級あっても普通級でも構わず優先していた。かんしゃくこそ起こさないものの、独り言を呟く、一人だけ立っている(もしくは座っている)など、周りを気にせず行動していたので、変に目立ってしまうことがあった。これらのことがほとんどなくなった。
今では普通級の子よりも大人しくしている。努めて目立たないように心がけているように思える
「大変だった、嫌だった」などの思いは、普通級から支援級に戻って来るまで言わないようにしている。

3 普通級へ行くことに抵抗を覚えるようになった。極力“フツー“の子との関わりを持たないようにしている。

2と3の根っこは同じだろう。自分がどう見られているか、理解しているのかもしれない。嫌な話だが、周囲から奇異の目で見られること、自分はからかいの対象になってしまうことを何となく理解しているようだ。公園などの遊び場で同じ学校の子を見かけると、見つからないように回避行動を取る。長男は徹底して”フツー”の子との接点を減らそうと努める。

周囲に自分がどう見られているか、気にするだけの余裕が育まれている。へんちくりんな行動は、家の中に限定されている。

彼なりに空気を読む(≒周りの状況を確認する)ことができているようだ。これは成長であり、いいことなのだと思うが、周りから自分がどう見られているか把握できるようになり、ある種の羞恥心を感じているのではないかと思う。彼は外見に気を配るようになった。人からどう見られるか、考えることができるようになった。

親としては少し複雑な気分だが、今後のことを考えるといい成長だと思う。