親ガチャ 子ガチャ 後編
「親ガチャ」があるなら「小ガチャ」もあるのでは、と考え、子ガチャはあるのか考えてみた。
まず定義だが、「どんな子どもが産まれてくるかは神のみぞ知る。運任せ」となるだろうか。
この前提で「子ガチャ」について考えてみる。
結論、「子ガチャ」にハズレはない。
どんな子どもであっても、親にとってはかわいい子どもだ。
たとえ子どもに障がいがあっても、だ。
ウチの長男は自閉症だ。今まで多くの苦労があった。他のご家庭に比べたら20倍では足りない程、辛いこと・苦しいことを味わっていると思っている。今この瞬間も不自由はある。
でも、「不幸」だと思ったことはない。「大変」なだけだ。
子どもが健常児じゃないことで、見つけられた幸せもある。外から見たら不幸せに見えるかもしれないが、十分幸せだと感じられる。
子ガチャは全て当たりだとしたら、親ガチャのように言葉遊びとして使われることはないだろう。
さて、ウチの話に戻るのだが、
障がいのある長男、我慢を強いられる次男にとって、妻の存在はとても大きいと思っている。
彼女が母じゃなかったら、彼らの人生は全く別のものになっていただろう。
その点で、ウチの子どもたちは「親ガチャ」で当たりを引いたと思う。
ただ、私が当たりかどうかは分からない。私でなければならないことは、あまりない様に感じる。
子どもたちに「当たり」だと思ってもらえる父親を目指そうと思う。