24時間テレビと自閉症
24時間テレビは自閉症を取り扱わない?
24時間テレビに物申す 自閉症を取り扱って
世間では毎年悪く言われている、日本テレビの24時間テレビ。今年はコロナ対応のため、武道館は無観客、マラソンも私有地を周るなど、変更を余儀なくされていた。今年は「そもそもやる必要があるのか?」という声かかなりあったようだ。ただでさえ、毎年のように「偽善だ」「茶番だ」と厳しい言葉を投げかけられるこの番組、今年はかなり頭を悩ませたのではないかと思う。
番組の反対派は多そうな感じがするが、私は堂々とやればいいと思っている賛成派だ。相当額の募金を集めることができている時点で、存在意義はあると思う。障がい者ポルノだと言われる批判に対しては、「障がい者はこんなことで困っている」「できないことがあって困っているということを理解する」という点で意義があると思う。マラソンの意義はよく分からないが、チャリティーという概念があまりない日本人にとって、「フツー」と「フツーじゃない」について考える、数少ない機会だと思う。
ただ、障がい者の当事者として毎年感じることがある。精神障害や自閉症を取り扱うことの難しさだ。
24時間テレビが取り上げる障がいは、身体か知的にほぼ限定される。なぜか?理由は「わかりやすいから」だろう。乱暴な言い方をすれば、「一目で困っていることがわかる人たち」のことを取り上げている。視聴者の大半は非当事者だろうから、当然のことと思う。
前述の精神障がいやウチのような自閉症の場合、テレビを通して「何が困りごとか分からない」だろう。私だって、よく見れば自閉症の子は何となく判別できるが、瞬間的には見定めることはできない。困った事態になっていないと、すぐには分からない。この辺りが、24時間テレビがなかなか取り扱わない理由だろう。
だから、NHKの発達障害キャンペーンは異彩を放っているのだと思う。「難しいのによく取り上げたな」と。
これは、自閉症の困りごとがなかなか人に伝わらない、ということと同意だ。ウチの子は、小さい頃から背が高く外見がシュっとしていたので、駅や公共の場でパニックを起こしてギャン泣きすると、奇異の目で見られた。何で困っているか分からなければ、周囲は手を差し伸べられないし、理解も出来ない。「なんだ、この家族は?」と思われる。結果、冷たい目で見られることになる。
自閉症児への「神対応」がネット記事になるのは、大抵ソースがアメリカや欧米だ。理解の度合が日本とは桁違いだと聞く。日本は「育て方が悪いと自閉症になる」と未だに言う人がいるレベルだから、難しいと思っているし諦めている。政治家がこのテのことを言う国なので、とても理解は追いつかないだろう。
発信力のある24時間テレビで、毎年自閉症を扱う「枠」を確保してくれたら、社会の理解が深まってくれるのにな。毎年「惜しいな」と思いながら、この「真夏の風物詩」のことを眺めている。
ただ、ここ数年、番組をちゃんと見たことはあまりない。理由は前述の通り、番組の取り上げるテーマがウチとは無縁だからだ。