頑張る長男よ、私のようにダークサイドに堕ちるな(中)
夜尿症 摂食障害 鬱 苦労して今に至ります
自分で言うのもなんだが、私は周りの子よりも出来ることが多かった。知識量が多く、頭の回転が速かったと思う。運動神経も良かったため、目立つ子だったと思う。生来の性格にこれらが合わさり、子どもながらプライドがとても高かった。他人に馬鹿にされることが一番嫌いだった。私のプライドの高さは、闘争心や努力の源になるような良い方に作用しなかった。
負けること、負ける屈辱を受け入れられないので、勝負そのものを避けていた。一例を紹介すると、ウチはファミコンを買ってもらうのが遅かったので、私はゲームが上手ではなかった。友達とゲームをして、負けて馬鹿にされることが心底嫌だったので、2人プレイでゲームをした経験がほとんどない。
プライドの高さは、弱音を吐けないことに繋がり、苦しいことや悲しいことを親にも相談をしなかった。友達付き合いで疲れてしまっても、それを親には言わなかった。先生にも悟られないように気を付けていた。
当時の私は、プライドを大きく傷つけられる問題を抱えていた。私は夜尿症に悩まされていた。通常は、未就学期に治まると言われているようだが、私は中学生まで治らなかった。後になって調べると、ストレスが起因して起こるケースが多いようだ。「おねしょをしてしまった」という事実は、大いに私の自尊心を打ち砕いた。恥ずかしさと悔しさで、親に相談せず隠し通した。小学校高学年になると、自分で対策を考えた。それは、水分を摂取しないという荒業だった。給食の牛乳を最後に、就寝まで一切水分を摂らないルールを決めた。夕方以降、毎日苦しくて仕方なかった。当時は熱中症が一般的ではなかったが、暑い時期のお出かけや当時通っていた進学塾で、よく意識がもうろうとなっていた。
おねしょをしてしまう度に、「皆はしないのに、私だけこんな簡単なことができない。赤ん坊から成長がない」
「私はダメな人間だ」
「私には生きる価値がない」
10代前半でこのように思いつめていた。その後夜尿症を克服したが、今度は摂食障害に苦しんだ。今になって思えば、前述のような考え方がベースにあれば、必然だったように思える。
摂食障害は、高校1年生の時に罹患した。中学時代、私はやや体重が多めだったことを気にしていた。毎日夕方にジョギングをする健康的な減量により、65kgほどあった体重を50kg台前半まで減らした。今振り返れば、55kgぐらいで止めておくべきで、減量にのめり込みすぎていたと感じる。当時は、減った体重=努力の証、と考え、少しでも体重を減らそうと躍起になっていた。ある時、1日で1kg以上増えるリバウンドを経験し、ここで何かが切れてしまった。ジョギングでは足りない、食べたものを吐いてしまおう。
食べては吐くを繰り返し、体重は最少43kgまで減ってしまった。通学だけで疲労困憊、授業中意識はボーとしていた。進学校に通っていたので、テスト前には徹夜などの無理して勉強をしていたのだが、この健康状態でする徹夜は拷問のように辛かった。心の底から「死んでしまいたい」と思っていた。
摂食障害は、親が発見し病院へ連れて行ってくれたことがきっかけで、少しずつ回復し、高校2年生の終わりには完全に減量の呪いを払拭することができた。
摂食障害と一緒に躁鬱も治療していた。このころから向精神薬の服用が、現在に至るまで続いている。今思い返しても当時は苦しかった。毎日「死にたい」と思っていた。この頃苦しみを味わった経験があるので、今幸せを享受することができてるのだと思っている。
一年の浪人生活を経て、大学へ進学した。現役と浪人時代には、ストレスと不安から不眠症に悩まされた。なんとか入ることができた大学で、他の人が意識せずにやっている「フツーの生活」「フツーの人間関係」に触れた。ここでも周りと自分の差に悩むことは多かったが、楽しい経験をすることができた。私は中高一貫の私立校に通っていたので、女性に対する対応が苦手だった。友情と恋愛の境目など、フツーは分かるような違いが分からず、困ることが多かった。異性に対する応対は、結婚して子どもがいる今でも苦手だ。会社など、出来ることなら女性と接することなく過ごせたら楽なのに、と日々思っている。
一旦大学生活でフツーの感覚を習得できたかに思えたのだが、ズレを突き付けられ、心身を耗弱させることになったのは就職だった。
「フツーとはなにか」「私だけできないものがある」「私だけがわからないようだ」「私はフツーじゃないのか」
仕事と人間関係によって、10代の頃味わった絶望感を再び味わうことになった。