頑張る長男よ、私のようにダークサイドに堕ちるな(下)

今の悩みはコミュニケーションが苦手なこと 嫌いなこと

摂食障害や鬱など、回り道を沢山したが、就職するまでは
自分はちょっとだけ他人と違うところがある。「ちょっとだけ」違いを確認したが、「ちょっとだけ」だった。大丈夫そうだ。
と思っていた。大学生活で「大丈夫だ」と思っていた意識を、「やはりダメだ」と思わせたのが就職だった。

協調性やコミュニケーション、物事の進め方(マルチタスクより一点集中が得意、等)、など”わずかな違い”だと思っていたことが、会社では全てマイナスに採用した。私の”個性”だと思っていた「抽象的だったり隠喩を織り交ぜた言い回し」も、ビジネスにおいてはマイナスにしかならなかった(合理的かつ正確な表現は、今でも苦手だ)。最大の長所だと思っていた、発想力や思考の柔軟性も、アウトプット化する技量がないので、「基礎の思考力が乏しいヤツ」と判定されてしまうだけだった。
技術的な不適合もあるが、最も苦手意識を感じたのは、「空気を読むこと」と「オブラートな物言いをすること」。俗にいう空気の読めなさはすぐに自覚することができたので、危機感を感じコミュニケーションや会話の機会自体を絞ったのだが、これが「コミュニケーション能力がない」と認識されてしまうようになった。世間話で愛想笑いをする、こんな簡単な”タスク”も私はうまくできなかった。後者のオブラートについては、かなり気を付けて会話をしているつもりでも、たまに「ストレートな物言い」「攻撃的な物言い」が悪気なく出てしまい、前述のコミュニケーション能力不足に加えて「常識がない」という評価まで頂くことになった。

自分が思っているように上手く仕事ができない、周りの同期が難なくやっていることが自分には上手くできない、私の評価が芳しくない

これらに加え、私の特性である、人一倍繊細、人の思考をいつも読もうとしてしまう、悲観論者、などが合わさり、不眠症や飲酒量の増加、感情の不安定など、息苦しさが増していった。学生時代に終息しかけたと思っていた鬱の傷が大きく開き、薬の服用量は格段に増えた。

前述の困り事は今も完全には解消されていない。ただ、以前ほど苦にしていない。
きっかけは、「他人の目を一切気にしなくなったこと」「他人に頼ることを一切やめた事」「仕事を手っ取り早くカネを稼ぐ手段と割り切り、”給料泥棒に徹しよう”と思うようにしたこと」だと思っている。
ある種の諦めの境地に達すると、途端に眼前が開けた。人と自分はそもそも違うようだ、合わせる努力を完全に放棄しよう、と思うと、仕事が少しずつうまくいくようになった。

家族を得て、不幸にも長男が自閉症と診断されてしまったが、今まで散々苦労を重ねているので、あまり落ち込まなかった。今まで散々涙を流してきたので、診断結果に悲しむこともなかった。私が今まで苦しんだものは、二次障害と呼ばれるものが多かったようだ。長男、場合によっては健常な次男が将来直面するかもしれない二次障害の経験値を既に私は獲得している。今まで苦しかった半生は、無駄にならず、むしろ子どもたちの危機回避に役立てることができる苦しいことでも、人生にムダなものは何一つない、と今になって思えるようになった。

今まで何度も死にたいと思い、何回か実行に移そうと試みたこともある。私は痛がりで怖がりで勇気が無かったので、今こうして生きている。今は死ななくてよかったと心底思っている。ほとんどの局面において、生きることが苦しかったので、「人生をもう一度やり直したい」とは思わないし、「生まれ変わったら何をしたいか」についての答えは「転生したくない」だ。
昔の自分にもしアドバイスできるとしたら、
「とにかく生きろ」「生きていればそれだけで勝ちだ」「いま苦しんでいることは、将来すべてが武器になる」
こう言って元気づけてあげたい。

今の私には、自閉症の長男を支え、疲労する次男と妻をケアする、という難題を抱えている。しかし、この難題に向き合うことこそが私が生かされている意味だと思っている。今まで苦しい人生を歩んでいてよかった。今ならそう思える。

心身はボロボロ、人を遠ざけ人間嫌いを隠す努力もしない、世間に一切の興味がない、一度堕ちた暗黒面から”人間”に戻ることはできないが、私はダークサイドから家族を見守る。これが私の生きる道だ。

苦しい半生だった でも生きていてよかった 生きているだけで勝ち