希死念慮

生きることの方が辛い だから生きる方を選ぶ

今回は、長男ではなく私の話。
有名な芸能人の自殺が報じられ、世間に衝撃を与えている。
「お仕事がうまくいっているのになぜ」「外見が整っているのになぜ」
ファンや一般人からこのようなコメントが聞かれる。
話は少し変わるが、最近人身事故で電車が運休することが多くなったように思う。全てではないが、自死のケースは多いだろう。
コロナの影響か、閉塞感か、それとも個々の事情なのか、自死を報じるニュースが増えたように感じる。

有名人、一般人を問わず、自死に対する反応は、概ね下記のようなものだと思う。

  • 驚いた
  • なぜ死を選ばなければならないのか(分からない)
  • 今でも信じられない

私は②と思ったことがない。
他人の苦しみの真相は分からないからだ。
自死に対して私の感想は、①の「驚いた」だけだ。

私は中学生の頃から、消極的な自死の願望を持ち続けている。
具体的な辛さによる鋭い願望と漠然とした閉塞感・虚無感による鈍い願望、これが途切れたことはない。家庭を持った今であっても多少あり続けている。
常に自死のコマンドは出続けている。絶対に選ばないコマンドとして出続けている。

私は、総量で考えたら死ぬよりも生きることの方が辛いと思っている。だから、自死の願望を持つことの方が自然だと思っている。
自死の願望、希死念慮。下記のように定義されている

希死念慮
死にたいと願うこと。具体的な理由はないが漠然と死を願う状態を表す。

どんなに幸せであってもこの希死念慮は消えない。
今は家族持ちで自分の命は家族のためにあると思っているので、絶対に自死を決意しないが、自分一人だったらどうだかよく分からない。

漠然とした自死の願望は、原因が見つけにくいから消し方が分からない。
実行に移さなければ共存し続けてられるのもしれないが、出来ることなら無くしたい。
他人との会話の話題にはまずならないので、一般的な水準が分からない。

だから、ぼんやりと辛い