健常者との埋められぬ差 前編

どれだけ努力しても健常者との差は完全には埋められない。
ただ、健常者が努力してもできないことが容易に出来る。
出来ないことではなく出来ることで勝負だ。

長男は自閉症児だが、私も薄目ではあるが自閉症(アスペルガー)の因子を持っている。私に自閉傾向があると判ったのは数年前のこと。私は小さい頃から、人生の中で多くのことに躓き、自己流の対処方向を編み出したやりくりしてきた。努力でなんとかしてきたタイプだ。多くの失敗をして傷をつくり、心がボロボロになったが、生きる術を身努力してにつけて、今日に至る。

私事だが、ある程度の経験と観察によって、大半の場面で空気を読むことが出来る。周囲の雰囲気、表情、声のトーンと過去の経験から「何をしてはいけないのか」推し量ることは出来る。ジャブのように言葉をいくつか投げ掛ければ、ヨイショや実現性のない約束かどうか分かる。大半のことは健常者と同じようにこなせる。

ただ、完全に感じ取れないことが数パーセント程度ある。問題を起こすことはないが、どれだけ努力しても出来ないという事実に打ちのめされる。私の感覚では、どれだけ真似事をしても、“健常者になりきる“ことは出来ない。完全に“彼ら“同化するのは無理だ。

ただ、一方で、健常者が頑張っても出来ないことを苦労なく実行することができる。
例えば、集団行動から外れても平気、周りと違う行動をしても不安を感じない。集団に属さなくても不安にならない。前例や一般的な考え方に固執しない。いい意味で“空気を読まない“行動が出来る。
これらを健常者がやろうとすると相当な不安を感じる。頑張っても出来ない人がかなり多い。

出来ないことを最小化した上で、特性を武器にする。

人によって程度は変わるが、健常者と渡り合うことは出来る。工夫次第で、健常者の社会の中で生き残ることは可能だ。
肝心なのは、自分の特性を把握することだ。それも、出来るだけ早く知ること。

後編では長男のことに触れる。

早いほど人生の苦労が少なく済む。