俗に言うコロナ鬱、子どもはクリア、私はどっぷり

自閉症の長男 コロナ禍に対応 しかし

自閉症の長男にとって、今年は激動の年だと思う。小学校が休校になり、再開後も生活ルールが大きく変わっている。休みの日にも満足に出かけられない。これ程大きな変化があるにもかかわらず、長男は毎日元気に生活している。

休校中に導入したスカパーや任天堂スイッチの好影響の賜物かもしれないが、予想外にうまくやってくれている。長男はよく頑張っている。俗に言うコロナ鬱とは無縁でいられている。

翻って、目下コロナ鬱真っ最中なのが、父親である私だ。やる気が出ない。何をやってもつまらない。コロナ鬱とは、ちゃんとした定義はないが、下記のようなものらしい。

さまざまなメディアで見かける言葉のなかに「コロナうつ」がありますが、しっかりとした定義をされていないため、病名ではありません。医学用語でもなく、新型コロナウイルスに対するこころの状態を端的に表す言葉としてマスコミが作ったものです。「コロナうつ」が示すのは、新型コロナウイルスに対するさまざまなストレスによって、沈んだ気分になる、気力が低下するといった状態を表現しています。

もともと罹患している躁鬱がやや強くなっている感じがする。私の場合、どちらかと言えばコロナ禍の情報過収集による不安よりも、無関心。「世間などどうでもいい」「日常に関心を持てない」「何をやっても楽しいと思えない」といった類のものだ。コロナ禍によって、家族と一緒の時間が増えた。行動の不自由はあるが、これは楽しいと感じる。一方、仕事への情熱や世間への関心はかなり無くなってしまった。買い物もテレビも関心を持てず、半沢直樹も録画したっきり見ていない。楽しむ気持ちが出てこない。

生活に支障はない。アルコールはやや増えているが、生活は出来ている。具体的な困り事はない。ただ、「空虚」に支配されている感覚だ。何をしても虚しく、感情が奮わない。色即是空ってコレ?多分違うだろう。

コロナ禍でも日々楽しく生活している長男に相談したいぐらいだ。相談すべき主治医にはちゃんと話してみよう。「実害は何もない」ことを添えて。私のこの感覚は、コロナあるあるなのだろうか?なぜ鬱にならず生活できているのか?私から見ればむしろ不思議だ。健康な人からアドバイスが欲しい。

軽度の私は苦労している。自閉症の幸福度は重さと比例しない。