我が家の、鬼滅の刃(肆)

家族の大切さ 絆

子どもに鬼滅の刃を見せていいか迷っていた。人が殺される、あるいは鬼が斬られて首や四肢が飛ぶ残酷な描写があるからだ。そして、主人公の炭治郎の物語は鬼に家族を惨殺されたところから始まる。残酷描写と悲話。次男は感受性・共感能力がかなり強いので、悲しいストーリーが悪く作用するのではないかと危惧した。結果、杞憂だったのだが、展開が衝撃的で私が驚かされた。
大人が戸惑ってしまうほど、この物語の設定は悲しい。

家族を失う悲しさ

炭治郎は、冒頭で禰豆子以外の家族を失う。生きてはいたが、人間としての妹・禰豆子もここで失っている。炭治郎は急に天涯孤独になってしまう。家族を失う悲しみは、主要な登場人物だけでなく、敵である鬼にもある。下弦の伍・累は、鬼となった自分を殺そうとした親を殺した。家族がいなくなってしまった空虚を埋める為、自分より弱い鬼を従えて偽物の家族を作った。累は、本物の家族の愛を死の間際に知り、殺してしまった両親に詫びる。

私が知っているのはシーズン1の26話までなので、この先家族に関するエピソードがどれ程登場するのか知らない。ただ、鬼滅の刃は家族に関する悲話が多くあり、視聴する中で『家族の存在とはどのようなものか』考えさせられる。家族を失った悲しみ、家族の大切さ、普段は気付かないが分かった時に理解する有り難み。

作品を通じて、家族の絆を務めて強く描かれている。その設定の話に子どもたちが熱狂していることにも驚く。アクションとストーリー、子どもと大人を引き付ける両方の魅力は並び立つんだ、と驚く。

もともと家族がいない悲しさ

私は、コミックス全23巻のうち6巻までの話しか知らない。7巻の無限列車編はまだ見ることができていない。今の時点でわかっている範囲で、善逸は親がいない。カナヲは親に捨てられたので、親はいないも同然。錆兎や真菰たちは、身寄りのない子たちを剣士として育てる鱗滝が親代わりの存在。現時点で私は知らないが、ひょっとすると伊之助も?

親の愛情を知らない登場人物が多い。前述のキャラクターには、親の代わりに愛情を注いでくれた存在がそれぞれいて、強くなれた。親がいなかったとしても、心の強いキャラクターが多い。家族の絆について描いていながら、ここは相反する部分がある。愛を与えてくれるのは家族だけじゃないことも、家族の大切さと同時に表現されている

ここからは私の話。長男が自閉症と判って以降、私の幸せの尺度は100%家族になった。私一人外で遊ぶことを私自身が好まなくなり、仕事よりも家庭を最優先に考え、出世ややり甲斐に興味をがなくなった。自分の命すら関心が薄れ、家族の幸せを何より優先したいと考えるようになった。私にとって一番大切なものは家族。その家族と作り上げる家庭と家族がいる家が大切だ。

自閉症児を育てる特殊な環境で、この家族への想いは、多少アンバランスなほど重みを増している。
不意に鬼滅の刃から突きつけられた『家族の絆』や『家族とは何か』という問いかけ。作品では丁寧に描かれているので、何か応援されたような気がして勇気をもらったように感じている。

仲間との深い絆

反面、自分が悲しく思えてしまうのは、仲間との繋がり方。炭治郎ら“かまぼこ隊“は友情で、柱をはじめとする鬼殺隊は志で繋がっている。仲間は、私が一番苦手な分野だ。私は家族以外との絆がない。友達がいない。いつのまにか疎遠になってしまい、意図せず一匹狼になった。一人でも寂しくない逞しさを身につけたつもりだが、これは正しい方法ではなかったと思っている。人付き合いが得意な妻や次男はおろか、自閉症児の長男にも友達がいる。取り残されてしまった。この点は鬼滅に感化されて、仲間を求めるべきなのだろう。

さてさて、大正コソコソ噂話。節分で渡辺さんは豆まきをしなくてもいいという話を聞いたことがあるだろうか?これは、鬼退治で名を馳せた渡辺綱に由来しているという。渡辺綱、初代の柱なのだろうか?