自閉症あるある 後編
長男を思い浮かべながら「あるある」を書いてみた。
自閉症児やその家族に共通して言えることなのか、段々「あるある」である自信がなくなってきた。
最後、“あくまで個人の感想です“と付記しようと思う。
あるある後編。
発達に偏りのある子に気付きがち
自閉症の傾向をおおよそ頭に入れているので、近所や友達の“手のかかる子“を見て、「この子、(自閉症の)特性があるかも」と思ってしまう。
長男が自閉症の判定をもらった時、スタッフさんは「長男の傾向は、かなり特徴的なので自閉症がかなり分かりやすい」と言った。そのスタッフさんの言葉が今ならよく分かる。
今の妻や私は、その子の少し様子を見たら自閉症かどうか何となくなら分かる。かなりの精度で気付けると思う。
ただ、親にそのことは伝えないし伝えられない。聞かれたら答える。
その為、“ウチの困りごと“を進んで話すことで、相談されやすくなるように配慮している。
親同士で自閉症児の能力を確認しがち
正しくは能力ではなく、特性・傾向だ。
TBSドラマSPECにおける「スペック」やHUNTER×HUNTERの「念能力」、ジョジョの奇妙な冒険の「スタンド」のような感覚で、
我が子の“能力“について親同士で話すことがある。自閉症児の特性についてお互いに話をする。子どもの特性や傾向は千差万別で、全く同じだったことは未だかつてない。
ウチの子の特性は「視覚情報と思い出の記憶」。
ただ、前述の作品と違うのは、この「能力」は困りごとを生む要因になる。逆手に取って生活を安定させる工夫が親には求められる。
子のパーソナルカラー 認識しがち
自閉症児はこだわりが多い。支援級の親御さんに聞くと、服にもこだわりがあることが多いようだ。幸い、長男は素材のこだわりがなかった。これがあると大変だと聞くので、綿や絹などのこだわりがなくてよかった。
ただ、色のこだわりはある。基本、親が買ったものを着てくれるが、自分で選ばせると決まった色に偏りがちだ。
ウチの長男は赤色にこだわる。自転車とダウンジャケットは赤だ。長男は背が高いので、赤を纏うと目立ってしまう。
最近、黒や紺のカッコよさを説いたことで、これらの色を好きになってくれたので一安心している。支援級には、青揃えの子、黒ずくめの子がいる。色のこだわりを持つ子は多いのではないだろうか。
真にしっかりした子を見極めがち
数は少ないものの、普通級の中には支援級の児童のことを気にかけられる子がいる。“自分たちとはちょっと違う“子に対して、優しく対応してくれる子がいる。
そのような子のほとんどは、頭が良くて礼儀正しい。性格も温厚だ。その子の親も人格者であることが多い。
手前味噌だが、ウチの次男はこのタイプで、クラスの支援級の子のサポート役を任されることが非常に多い。このような子がいてくれると、本人と親は本当に助かる。
自閉症を題材にした創作物を避けがち
事実と異なる点、もしくは、あまりにリアリティがあるために、今まで好きだった作品を見られなくなることがある。私にとっては「アルジャーノンに花束を」が該当する。逆に、「レインマン」と「フォレストガンプ」は、特性がよく表れているので何度も観た。
障がい者を取り扱った作品全般を避けるようになったと思う。24時間テレビは見なくなった。
他人と自分を比べなくなりがち
ヨソの家庭と比べたら、悲しむことしかない。ないものねだりをしても意味がないことに早く気付いた。だから、最近、長男と同年代の子を比べたことがない。比べることに何の意味もないと分かったからだ。私自身も、自分と他人を比べなくなった。出世や余暇の過ごし方など、興味がなくなった。
ありふれた幸せに気付けるようになりがち
苦手なことの多い自閉症児の我が子が、努力して何かをできるようになった時、抑えられない多幸感を感じる。
これら「あるある」は、ヨソの家庭では共感されないものが多いと思う。私は、自閉症児をお迎えした時から、幸せの基準はオーダーメイドに変更されると思っている。
ヨソはヨソ、ウチはウチ。価値基準を外に向けていいことは何もないと思っている。幸せを感じること、自閉症児を幸せにすることは、親の匙加減一つでなんとでもなる。
※あくまで個人の感想です。