もし人類がみな自閉症だったら(前編)
自閉症の人しかいない社会を想像してみよう
自閉症の長男は基本マイペース。人と比べることをせず、競争を好まない。
他者への思いやりはあるが、攻撃したり羨んだり蔑むことをしない。
少し悪く言えば「人畜無害」、根っからの平和主義者だ。
もし世界中の人々が、自閉症の傾向を持っていたらどんな世界になるのだろうか。
勝手にシミュレートしてみる。
社会的地位や肩書が意味をなさない
目に見えるもの、実効性のあるもの以外、価値のない世界になる。有名大学を出ている、一流企業に入社しているなど、これらのことが人を判断する材料にならない。
長男にはまだこれらの概念は当てはまるものがない。ただ、校長先生と担任で態度を変えたり、医者と看護士で態度を変えるようなことはない。
実用的なもの以外、興味がない。ファッションは機能面の優劣のみが重視される。ブランド品は重宝されず、流行も存在しない。
希少価値やプレミア感、高価など、これらの価値は目に見えないものだ。そのようなものに価値を感じない。便利であるか、実用的か、壊れにくいか、肌わりがよいか、それらが価値基準の全てになる。
長男にとってのいい服は、チクチクせず着心地のいい服で、それがブランド品であろうがもらいものであろうが関係ないようだ。私があげたステューシーのスウェットを、汚しても気にせず着ている。
唯一、服にこだわりを持っている。それは色で、迷ったら、お気に入りの赤を選ぶ。ダウンジャケットは派手な赤だ。
保身のためや人を追い落とすための嘘をつかない
悪意の嘘は基本つかない。嘘で人を貶めない。ピンチで動転し、咄嗟に適当なことを答えてしまい、結果的にそれは嘘だったということはあると思うが、その程度。健常な人のそれと大きく異なる。
基本的に正直で、“嘘がつけない“ということが彼らの困り事だ。嘘がつけないと、この世で生きていくのはとても大変だ。
長男も、悪意のある嘘はつかない。おやつのお煎餅の枚数を少なく申告するなど、細かな嘘をつくことはあるが、他人の立場を悪くする悪意のある嘘は絶対につかない。
コミュニケーションの手段は、全て言葉か文字。雰囲気や空気は用いない。
“空気を読む“という特殊能力は、自閉症の人には備わっていない。そもそもそのような意思伝達方法があるという認識がない。だから、相手に意思を伝えるときは、必ず言葉に発するか文字にする。コミュニケーション方法がシンプルになる。空気を読む、という概念そのものが消滅する。
長男は若干空気が読める。楽しい雰囲気を嗅ぎ分ける力があり、皆が楽しそうにしている時には自分も楽しく振る舞う。ただ、ピリピリしている雰囲気とに気付く力はない。成長すると身につくのだろか。
コミュニケーションは最小限。プライベートにはお互いに干渉し合わない。
相手に自分の考えていることを伝え、相手にやって欲しいことを伝える。これがコミュニケーションだ。それ以外のことは必要なくなる。相手の好きなことを詮索したり、気に入られようとして共通の趣味を探したり。そのようなことがなくなる。コミュニケーションがとてもシンプルになる。
長男はお友達が大好きで、よく話しかけている。しかし、相手のプライベートに立ち入ろうとは決してしない。相手からそれをされることも拒む。
長男を見ていると、自分の世界と相手の世界、それぞれを尊重し合うのが自閉症の人たちのスタンスだと感じる。
人間の上下関係がなくなる。先輩後輩、上司部下、主従関係がなくなる。
知識量や体力による得意不得意は多少あると思うが、健常者のような上下の関係性はほとんどなくなる。偉い・偉くないという立ち位置が存在しない。人は皆フラットな並びになる。
長男は、下級生には優しく接するが、偉ぶった態度は取らない。年長者に卑屈になることもない。長男は身体がとても大きいのだが、自分より小さい子を威圧することもない。特別支援学級は、最大6歳の年齢差があるのだが、とてもフラットだ。
争い事をしない
自閉症の人は、自分と他人の世界を明確に分けて認識し、干渉することを望まない。自分の世界が尊重されていれば、他者のそれも尊重する。そうすると、無用な争いが起こらない。イデオロギーや価値観の違いが発端であることの多い戦争は、自閉症の世界ではほとんど起こらないだろう。
長男は争い事をしない。たとえやられたとしても、決してやり返さない。いい場所の取り合いや人気のおかずの奪い合い、あってもこの程度だ。あくまで考えの前提が自分中心なので、他者に変更を強要しない。
自閉症が大多数の世界は、非常にシンプルで牧歌的な世界になりそうだ。発展や革新は無さそうだが、平和な世界だ。
この話、私の創作した話ではない。元ネタがある。
次回、それを紹介する。