回顧録 電車のこだわりとパニック

今になって思えば、何故あの頃苦しんだのか分からないことが沢山ある。気付くとその困り事は綺麗さっぱりなくなっていた。なぜなくなったのか、理由を考えず今に至っていることが山ほどある。

かつて手を焼いた長男の困り事について、どのような困り事だったのか、何にこだわっていたのか、どれぐらい大変だったか、何故なくなったのか、振り返ってみたいと思う。勝手ながらシリーズ企画です。

電車へのこだわり

赤ん坊の頃から電車が好きだった長男。電車のDVDを毎日見て、電車の図鑑を手放さなかった。療育期になると、電車に乗りたがるようになり、電車に乗るためだけの外出をした。

どのような困り事があったか

長男はイレギュラーへの対応力がなかった。自分の予想と反することが起こると、よく泣き、パニックを起こすこともあった。パニックの原因になったのは、目的の車両が来ない、時刻表通りに入線しない、乗りたかったお気に入りの型式の車両じゃなかった、などだ。自分の予想と違うことが起きた時、それを受け入れられず泣いていた。電車は規則正しいので、それが乱れることが理解できなかったのだろう。電車はこだわるポイントが多かったので、一緒に付き合っていて大変だった。

何にこだわっていたか

今日見たい、と思った車両を見ることや乗ることだと思う。電車は基本、ダイヤ通りに運行しているので、事前に調べておけばなんとかなることが多かった。どんな車両が運行されているか調べる為にファンサイトなどもチェックした。

困ったのはダイヤの乱れや急な運行取りやめだ。普通の人でも嫌なものだが、長男は現実を受け入れられないほど嫌だったようだ。よくパニック泣きを起こし、隣の私は絶望的な気分になっていた。ただ、好きなことをするのに猛烈なストレスを味わっていた長男が一番辛かったと思う。和らいでくれて本当に良かった。

どれぐらい大変だったか

長男は目的を達成するためなら、いくらでも待つことができた。その為、お気に入りの車両が入線するため、一時間以上ホームのベンチに座っていたことが何度もある。待つことを全く苦にしない長男。みなとみらい線の元町中華街駅で、横浜高速鉄道のポケモン車両が来るのをずっと待っていたことがあった。長男は待つことを苦に思わない。私は違うので、段々イライラ。自閉症のこだわりの強さを体感した。

何故なくなったのか

思い返しても思い出せないほど、いつの間にか電車のこだわりはなくなっていた。今でも電車は好きだが、今はコントロールができている。昔は、いつも乗る号車が決まっていたり、途中下車すると決めた駅があり、付き合うのが大変だった。今では、自分でも面倒だと分かったことにはこだわらなくなった。

きっかけは何か、明確にこれだというものはない。だが、きっかけは彼の成長だと思っている。興味の幅が広がり、他にも楽しいことが見つかった。イレギュラーに慣れた。電車に乗る目的が、電車そのものからお出かけ先でできることに変わった。これらが合わさって解消されたのではないかと思う。

手前味噌ながら、昔の自分たちはいい対応をしたと思っていることがある。それは、長男のこだわりにある程度とことん付き合ってあげたことだ。納得いくまでやり切ったことで、長男は満足してくれた。こだわりを“こじらせる“ことを防げたのではないかと思っている。