3.11 東日本大震災から学んだ教訓

もう10年なのか、まだ10年なのか。東日本大震災から10年経過した。
当時、長男は2歳。周りの赤ちゃんと比べて「あれ?」と思うことが多くなっていた頃だ。
当時は新横浜のマンションに住んでいた。ちょうどお友達のママ友達2人が赤ちゃんを連れて我が家へ遊びに来ている時に地震発生。
かなり激しく揺れたようだが、長男は気にする様子もなく普段の遊びを続けていたらしい。
周りの赤ちゃんは異変に気付き、泣いたりキョロキョロしていたと聞くので、当時から”変わっている”片鱗があったようだ。
私の職場は静岡県の裾野市にあり、横浜ほど強い揺れは感じなかった。
ただ、新幹線を含めJRがストップし、高速道路も普通になってしまったので、その日のうちに帰宅することができず
会社の寮を借りて一泊した(2011年3月11日は金曜日だった)。
翌日、新幹線が段階的に動くという情報があり、三島駅まで出て新幹線を待ち、昼過ぎに自宅へ到着した。
幸い我が家には大きな被害はなかったが、その後オムツの品切れや会社への戻り方、計画停電など、多くのことに気を割いた経験がある。

東日本大震災の後、熊本地震や台風など、多くの天災があった。
長男の自閉症が判明し、死ぬほど手を焼いた時期を経て、いま安定期になっている。次男も生まれた。
大震災から学んだこととして、「どのように身を守るか」自分のこととして強く考えるようになった。
それは、

長男、自閉症の長男は、通常の避難や防衛ができない

と”判った”からだ。
東日本大震災や他の災害を通し、自閉症など発達に問題を抱える家族は、相当な苦労を強いられていることが分かった。
避難所や仮設住宅で文句を言われ、肩身の狭い思いをした方、いたたまれなくなってそれらの施設から出ざるを得なかった方は
相当数居られるようだ。
我が家でも、

避難所に入れない前提で、地震や風水害に対応する

ことを想定するようになった。4人家族なので、

万が一の時には、次男と妻だけも逃がす。私は長男と”逃げない”選択肢を取らざるを得ないことを覚悟する。
場合によっては死も覚悟する

最悪のケースを常に想定した生活設計を心掛けるように変わった。自閉症という困りごとを抱えている以上、普通の家庭と同じ対応はできない。

交通機関がマヒしても会社から自力で家まで戻る。
インフラが復旧するまでの間、必要な食材と資材を揃える。
非常事態においても、長男の絶対に譲れないルーティンだけはできるような構えを用意する。

これらを想定すると、案外大変だということが分かった。
自助の範囲を相当広げなければいけないと常に考えることになった。
太陽光パネルと水の貯蔵タンクを家に取り付けたことや、愛車は常に4WDであること、月に150キロ近く走り込んで体力を増強していることも、半分は趣味だが非常時の構えの一部だ。

南海トラフ地震は、そう遠くない時期にかなりの高確率で起こると言われている。
私の責務は、家族を支えること・子どもたちを育てることの他に、

次の大規模災害で家族の命を守ること

だと思っている。たとえ自分は死んでしまったとしても。

明確な生きる目標ができると、生活にハリが生まれる。
危機を想定することで、色々な事に興味関心は湧くようになった。

東日本大震災を無駄にしない。私はそう思うようにしている。日本国も同じであってほしいと思う。