ただ生きているだけ でも皆そんなもの
替えの効かない人なんてほぼいない。でも身近な人にとっては違う。ごく近しい人が自分に生きる価値を与えてくれる
自分自身に価値を見出せず、何のために生きているのか分からなくなることがある。心を病んでいなくても、誰しも一度は感じることではないかと思う。
『自分は何のために生きているのか』『自分の人生に価値はあるのか』
私の中では、結論は出ている。
価値などない。
一般人の人生は、人類全体からみると砂粒ほどの価値もない。仮に大企業の社長であっても、一国の指導者であっても、一般人とさほど変わらないと思っている。
“その人でなければならない“ものなどほとんどない。代わりはいくらでもいるし、代わりは誰にでも務まってしまう。替えの効かない人物は、世界を変えるような発明や発見をした、ごく限られた人だけだと思う。
現代のように高度にシステム化された社会においては、替えの効かない人などほとんどいない。
仮に、お金を稼ぐ力のある人や新たなサービスを創出できる人であったとしても、その人がいなければ別の誰かが同じような“偉業“を達成するだろう。
暮らしを便利にするものは、無ければ無い暮らしに慣れるだけであり、例えばスマホやインターネットだって、無ければ無い社会は成立する。40年前には無くても困らなかったのだから。
人間の人生にはあまり価値がない。
人間であっても、生物一個体自体にあまり価値がないこととさほど変わらない。例えば、働きアリが1匹いなくても、他のアリが役割の充当ができてしまうように、人間もほとんどの場面において替えが効いてしまう。
ただ、一対一の関係においては違う。大切な人の前では、自分の替わりが務まる人はいない。子どもにとって、親の代わりが誰でも務まる訳ではないように。自分が今生きていることが、親の存在なしには成り立たないように。
身近な人、大切な人の前では、生きている価値がある。その人でなければならない。
ただ生きているだけでいい。
存在していることに価値がある。
自分の役割や立場、技能には大した価値はない。
だが、存在には価値がある。
手の届く範囲の人間関係においては、その人でなければならない。
だから、仕事や生き甲斐に悩むことは無意味だ。
目の前の人だけ大切に思って、生きるだけで十分だ。それが人生の全てだと思う。
生きてさえいればいい。存在していること自体に価値がある。
深く考えることをやめよう。