グレーHSP
リンク先 Wikipedia
医学的な定義がある訳ではなく、疾患や傾向として明確化されているものではないが、HSPないしHSC(CはChild)の関心は高い。
関連書籍が多数刊行されており、SNSやインターネットでも多くの投稿、記事を目にする。
「長年の苦しみの正体が分かった」
「我が子が辛そうにしている原因はこれか」という感想をよく見聞きする。
尚、HSPはASDのような診断の基準はなく、医学ではなく心理学的な定義に留まる。
性格性質の傾向として捉える程度のものだ。
ウチでは私と次男が該当する。
今回は私のケースを書こうと思う。
私の場合 ~40代男性
極度の八方美人
つい10年前まで、私は猛烈な八方美人だった。
誰からも嫌われてはいけない、好かれなければならないと考え、その為に神経をすり減らした。
この努力が確実に報われるものではないので、理想と現実のギャップに傷付き、人付き合いに苦手意識を感じていた。
私が八方美人に囚われた原因は、3年毎にやってくる父の転勤だったように思う。
「友達を作らないと」「クラスメイトに好かれなければ」と考え、その為の努力に注力した。
小さな頃から人間関係が死活問題になったので、人一倍コミュニケーションに向き合う機会があった。
他人の表情や語気から感情の機微を読み、自分が攻撃されない為の防衛作戦を常に練っていた。
その気苦労のせいか、私は夜尿症に悩まされ、小学校卒業まで克服できなかった。
モテることへの恐れ
女子とのやり取りも苦手だった。
小学校の頃、バレンタインデーにチョコレートを貰うと友達からからかわれた。
どうしたら“チョコを貰わずに済むか“本気で考えていた。2/14と3/14が本当に嫌いだった。
私立の男子校へ進学して、男女の面倒な関係性から逃げることが出来たが、共学に戻った大学以降に高ストレスを感じる羽目になった。
残念ながらモテて困ることはなかったが、告白する・されるの作法が分からず人付き合いの苦手感が高まった。
スポーツの気苦労
スポーツではコンタクトスポーツが全くダメだった。
小学校の頃、体が大きく運動神経も良かった私は、担任の先生が監督をしていた小学校のサッカークラブから誘われた。
練習が楽しく、頑張った分上達するので、熱心に取り組んだ。
休み時間のサッカーがとても楽しかった。順調な上達した私は、一学年上の試合に出してもらえることになった。一番負担の少ないディフェンスのポジションで出場した。
一学年上の相手選手から受けたコンタクトプレーで完全に気持ちが切れてしまい、ボールを受けるのが怖くなってしまった。
体の接触をしたくない思いが一杯になり、監督に交代を願い出た。
後日、クラスで監督である担任に『僕を試合に出さないで下さい』とお願いをし、クラブでは練習のみ頑張った。
以後、競技としてのサッカーとは無縁だ。
いい歳のおじさんになった今でも、コミュニケーションは大の苦手だ。
コミュニケーション術はそれなりに会得しているつもりだが、かなり無理をしている。
誰とも関わらず働けたらどれ程幸せだろう、と思わない日はない。
次男には私と同じ思いをして欲しくない。
しかし、次男は既に前述のサッカーと同じような出来事を、既に経験していた。
次回は次男のことを書こうと思う。