我が家の、鬼滅の刃(弐)
残酷な描写の受け止め方
長男が話す内容から、鬼滅の刃が好きなことが伝わってくる。ただ、長男はアニメは全く見ていない。公式サイトなどは少し見ている。動いているキャラクターはあまりみていない。鬼滅の刃は、作り自体は大人向けに作られたダークな作風で、大人向けゆえの暴力描写も避けていない。首が飛んだり血が噴き出すなどの残酷な描写が苦手なのかな?と最初はおもっていた。だが、そうではないようだ。理由は幾つが考えられる。
①鬼が怖いから見ないのではないか
つい最近まで、ディズニーランドのホーンテッドマンションに乗れなかった。ルイージマンションのようなファニーなお化けは大丈夫だが、怖いビジュアルのものは苦手なので見ない。ちなみに、長男に『一番怖いのは何?』と聞くと、『ツタンカーメン』と答えた。ゾンビや怪物よりも怖いらしい。ちなみに、次男はお化けやモンスターが大好き。異形の鬼でも怖くないようだ。(バイオハザードは怖いと言っていた。ゾンビは苦手なのか?)
②難しい話が苦手だからではないか
長男のアニメの見方は、通常の見方とは大きく異なる。30分リモコンを触らずにいられない。長男の好きな見方は、シーンや台詞を繰り返し見ることだ。早送りやスキップボタンを巧みに操作し、お気に入りの場面を探す。話の流れなどは、あまり気にしない。多分、理解が難しいのだと思う。次男が好きな名探偵コナンを、長男も影響され少しだけ見ている。長男はお気に入りのシーン以外見ない。ストーリー全てを楽しめるのは、5分~10分程度の短編が限界。妖怪ウォッチのミニコーナーやはなかっぱ一話分であれば、早送りや場面スキップせずに見る。ドラえもんやしんちゃん等の一話15分は、好きなシーンまで早送りする。鬼滅の刃はストーリー性が高く、前の話を覚えていなければ楽しめない。長男にはちょっと敷居が高いと思われる。
悲しい物語、可哀想な登場人物を見ているのが辛くはないか
長男は、多少のイタズラ心はあるものの、とても純粋で優しい。意図的に人を傷付けたり悲しませることを絶対にしない。ただ、相手のことをおもんばかり、同情や労りの念を覚えたり、感動したことはおそらく一度もない。彼が泣くのは、自分が悲しい時や痛い時、悔しい時であり、他者がそのような状態の時に泣いたことはない。共感や感動がないか乏しいのは、自閉症の特性かもしれない。グレーな自閉症の私にも同じような側面がある。悲しみや感動で涙を流した経験がほとんどない。人間関係や作品を問わず、感涙の経験がない。長男が自閉症と分かった時ですら泣かなかった。嬉し泣きも同様にない。誰に話しても、この話は共感してもらえない。同じような性質の人は、そんなにいないものなのだろうか。
小学校低学年の次男は、好きなアニメで可哀想な場面があると泣く。ドラえもんやしんちゃんでは大粒の涙を流す。リメイク第一弾の映画「ドラえもん のび太と恐竜」は、『のび太がかわいそう』といって泣きすぎ、『もう見ない』と言う。ただ、次男は鬼滅の刃では泣かない。悲しい場面は山程あるが、涙を流すことはない。本人に確認はしていないが、おそらく剣戟のかっこよさが勝るのだろう。感受性の高く繊細な次男であっても、鬼滅の刃の魅力は、“かっこいい“一択なのだろう。
これらの点。世間の小学生はどうなのだろう。アマゾンプライムでは、暴力描写ありと表示される。高い画力と演出力により、残額なシーンは痛々しさが伝わる。死に直面する話なので、悲しいシーンが多い。大人が熱中する理由は、これらに感動できるからだと思っている。鬼滅の刃は子どもから圧倒的な支持を受ける。これらの点をどのようにクリアしているのだろう。
大正コソコソ噂話。ほとんど感動の涙を流したことはない私だが、家族がベースにある鬼滅の刃には感動する。泣かないけど感動する。『オレでもちゃんと感動できる話だよ』と言うと、妻は『人間の心があったんだ』と言って小馬鹿にする。どちらかが、血鬼術にかかっているのだろうか。