天井が見えたら、人生が楽になった

10代の頃は何かしらで名を成すことを夢見ていた。入社して数年間は、会社内でサクセスロードをひた走るイメージを持っていた。今思えば、身の程知らず甚だしい。

何一つ叶っていない。結果がわかっている今から思えば、自分が見えていないことが滑稽だ。

会社人生も寿命も残り半分だ。あと半分我慢すれば終わる。自分は大したものにはなれなかった。齢40は人生を振り返る折り返し地点のようだ。

自分が組織の中で折り合いを付けて、上手く渡れる人間でないことがよく分かった。以前は落胆したが、今では良かったと思っている。組織の中を上手く泳ぐ才がなかったことは、決してマイナスではなかったと思っている。下手に器量があって出世していたら、心労が溜まって苦しい人生だったのではないかと思う。

自分の人生には無限の可能性はない。上振れも下振れも誤差の範囲で、おおよそ先が見えた。天井の高さをはっきりと認識した。ぐんと上へ行くことはやい。多少の悲しさと虚しさはある。しかし、肩の荷が降ろせたような心地よさの方が勝る。

ある程度自分に“諦めをつける“と、ストレスや不安を感じ辛くなった。現状維持+αでいいと思ったら、視界が広がった。

私の場合は、心の余裕ができたので、家族のこと、特に長男のことに全てを注ぎ込める態勢が整った。

中途半端に社会を上手く渡れる人間だったら、自閉症の長男が気になっても「大きな仕事をしているから」を口実にして“仕事へ逃げていた“だろう。

自分の限界が見えてしまった。文字にすると、悲しいことのように見えるが、悪い事ばかりではない。

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