明確な目標のない人生に慣れる
自閉症の長男と家族を支える必要がある為、自分の人生、特に仕事のことについて考える余裕がない。元々、私はマイナス思考で、上昇志向がない。長い就労人生を過ごす上で、「こうなりたい」「これを成し遂げたい」という目標を設定できない。仕事に対して空虚な捉え方をしていることに、最近気がついた。
ゴール地点が伏せられた状態で走るマラソンはキツい。だからといって、意識高い系の目標を無理に設定するのは違う。出世や仕事の成果を目標にして働くことは、長い会社員生活を過ごす上で必要な要素なのかもしれない。何も無いのはキツい。怠惰な性分なら平気なのだろうが、不幸なことに私は多少の向上心を備えている。このギャップを苦しく感じている。
目標なく仕事をこなすことに慣れる
ダメな生き方のように聞こえるが、私のような状況の人には必要な考え方なのかもしれない。子どもの介助や親の介護で、仕事第一に考えられない人はいるだろう。そのような状況において、心の健康を保つ為にはこの“向上心のない“働き方が必要な人はいるのではないか。高い目標と介助や介護が並び立つのがベストだ。目標はモチベーションになる一方、その人を削るストレッサーにもなる。ストレスの多い長男のケアをしながら仕事で高い目標を設定し精進するのはかなりキツい。
心を病まないことを望むのなら、高い目標は捨てた方がいい、と私は思っている。調整が難しいので、上手く折り合いをつけなければいけない。
高い志は、諸刃の剣。捨てて達観する視点も必要だと思っている。私個人よりも、家族の方が何倍も大事だ。