家族のために私はいる
後編
仕事を前提に考えた時、私の存在意義は残念ながら見当たらなかった。私の代わりはいくらでもいる。私には大した存在価値がないようだ。
しかし、これはあくまでも“ドアの外“の話だ。私でなければならない場所がある。それは家だ。妻や子どもたちにとっては、私は替えの効かない存在だと自信を持って言える。
ただ、「自閉症の長男を支える存在として」という但し書きが付く。手のかからない子どもの父親なら、私でなくてもなんとかなる。むしろ、私よりもより稼ぐことができて、人間的に立派な父親の方が、家族を幸せにできるだろう。長男を支えるにあたり、精神的な耐久力と今まで彼を育ててきた経験則が欠かせない。“自閉症の先輩“としての私の感覚や過去苦しんできた経験も重宝している。他の誰でも務まる役割ではない。
私に存在価値を与えてくれているのは家族であり、自閉症の長男だ。また、長男の存在は、私に生き甲斐を与えてくれる。「この子のために強く生きていこう」。そう思わせてくれる。
苦労の多い生活だが、その苦労が私に価値を与えてくれる。生きる使命を与えてくれる。長男は、成長によって家族に笑顔を与えてくれる。
ウチは大変だけど、不幸じゃない。
私は、自分の存在意義を理解し、人(他人という意味ではなく自分ではないものという意味)のための人生を懸命に生きようと思う