戦争

最悪の未来を想定することが私の癖になっている。想定外を生まないプラスがある一方、ただでさえ細い神経を不安によってすり減らしてしまうマイナスがある。ただ、長男が自閉症と判って以降は、この思考はプラスに作用していると思っている。

私は、自分が生きなければならない期間を大災害が起こるまで、と決めている。長男は世間一般の避難ができない。東日本や熊本の障がい者家族の苦労話を見聞きするに、避難所には入れないだろうと思っている。長男を守るため、あるいは、長男を除く家族を守るために命を使う。それが南海トラフなのか富士の噴火なのか分からない。私は布団の上で死ぬことを想定していない。これらのシミュレーションの前提は、天災だった。戦争ではなかった。

2/24、ロシアがウクライナに侵攻した。かねてからきな臭い世界情勢だったが、貿易や金融ではなく武力を用いた争いのフェーズへ以降しそうだ。数十年に渡りロシアや中国とのホットウォーが展開される可能性がある。戦地から遠い日本も大きなダメージを受ける。経済のダメージは計り知れない。また、台湾海峡で同様の事象が起こることを想定しなければならない。憲法と自衛隊の在り方が変わるかもしれない。子どもたちの世代は、私や父親の世代以上に、戦争と密接した時代を生きることになるかもしれない。

これは完全に想定外だ。

天災から家族を守るイメージはあった。何時間で会社から自宅へ帰るか、徒歩でどのルートを使うか、救援なしで何日自炊しなければならないか、これらは想定して準備していた。でも、空爆や市街戦からの避難を考えたことはない。ウクライナの報道を見聞きすると、攻められる側は事前の構えがあっても持ち堪えられないようだ。戦闘態勢のウクライナですら国土を防衛できないのなら、日本などすぐに陥落するだろう。

長男の避難は、天災よりも戦火の方が圧倒的に難しいだろう。音や光で長男はパニックを起こしてしまうかもしれない。殺気立った避難民から排除されるリスクは、天災の場合よりも高いだろう。周囲と違う障がい者に、温かい手が差し伸べられるとは思えない。ある程度歴史がそれを証明している。

最悪の想定は、私のルーティンだ。今後は戦火を生き延びる方法を想定に加えようと思う。